2012年10月29日月曜日

「消費者」であるという責任

戦争映画・アクション映画にはよく、敵役として独裁者や町を牛耳る権力者が出てきますよね。あ、時代劇もそうかな?


彼らはたいてい豪勢なお屋敷に住み、ブランド品や宝石などの高級品で身を固め、食べきれないほどの豪華な食事を楽しむ贅沢三昧でこの世の春を謳歌してて、それに対して一般の国民や町の人々は食べるものにも困るほど貧しく、きつい労働をさせられ、どうすることもできないままただただ必死に生きている・・・



現実でも、かつてフィリピンの独裁者マルコスが失脚した際には宮殿にイメルダ夫人の1000足を超える高級靴が残されていたことが大きく報道されて話題になったことがありました。



また、極貧国だったザイール(現コンゴ民主共和国)を32年も独裁したモブツ大統領の超豪華な別荘の浴室には特大の香水の瓶がいくつも並び、中でも最も愛用されていたのがシャネルの『エゴイスト』だったという悪い冗談のような本当の話も。



こういった映画や現実の報道を見る時、ボクたちは「民衆をこんなに苦しめといて自分たちは贅沢三昧なんて、とんでもないヤツだ!」という義憤にかられ、彼らが倒された時には拍手喝采したい気分になりますよね。



でも、ちょっと待って。



カンボジアやバングラデシュ、パキスタンなどのアジアの途上国には、先進国で安くてオシャレともてはやされているファストファッションブランド各社の工場がたくさんありますが、中には賃金が生活に最低限必要な額の4分の1しか支払われていないところもあり、また、コスト削減による安全対策不備のため火災などのために全体で年間100人以上も死者が出ています。


また、あってもなくてもいいような機能を満載にした携帯電話やIT製品の新作の発表・発売に熱狂している人々がいる一方で、それらの機器に欠かせないレアメタルの採掘権を巡ってコンゴでは内戦・虐殺が続き、奴隷のように働かされている人たちがいます。


あげる方ももらう方も誰も喜ばない「義理チョコ」なんてものに数百億円が使われている時に、チョコレートの原料であるカカオの農園には西アフリカ地域だけで20万人を超える子どもたちが働き、推定ではその内の1割前後は近隣国から売られてきて賃金もなく労働させられていると言われています。


そして、世界の先進工業国が消費者段階で廃棄する食料1年間の総量2億2000万トンは、サハラ以南のアフリカで1年間に生産される食料の純生産量ととほぼ同じ・・・






これって・・・自分たちの欲が満たされればそれでいいかのように『豊かな生活』を送ることって、映画の中の悪役や独裁者と、何か違いがあるのかなぁ?。






もちろん、世界が等しく貧しくなればいいとも思いませんし、現実的に不可能だと思います。経済・文化・学問の発展は人間の欲求がなければあり得なかったでしょう。



でも、人間には欲と同時に、良心や感情があるはず。自分が買ったものはすべて、どこかで誰かが作ったものだということを考える想像力があるはずです。




「先進国の消費者」であるだけで、責任が伴っているとボクは思っています。

安いものを求め、そして使い捨てにすることがどういうことか考える責任。

自分たちが手にし、口にしているものはどこで誰が作ったものかを想像する責任。

考え、そして知った時に、どういうアクションを起こすか(それとも起こさないか)を選択する責任。



映画の中の悪役になるか、虐げられている人々のために行動を起こすヒーローになるか、それはボクたち次第ではないでしょうか。



ボクがもし子どもだったら、お父さん・お母さんは悪役じゃなくてヒーローの方が絶対いいなぁ。